芝刈り機

あいーん

グラムとネフィリア


 僕がこの狂の派閥にきて既に一年が経過しようとしていた。
 ラグナロク様にご慈悲を貰って以降、僕は恩を返す為に毎日鍛錬を続けていた。その鍛錬相手は七劔が一人、双剣ティルヴィングの担い手レヴナント。
 それほどに僕のポテンシャルが期待されているという遠回しな信頼だ。それに応える為に、僕は研鑽を積み続けた。
 けれど、やはり道程は甘くない。何度も頓挫しては諦めかけ、叱咤されては諦めかけた。メンタル的にも未成熟な僕は、段々と強くなるという目的を幾度も見失い続けていた。
 そして等々、僕はその鍛錬に耐えきれず投げ出してそこから逃げ出してきてしまった。とある小高い丘の上。巨木に背中を預けながら罪悪感と悲嘆に暮れていると、拠点の方角から忍ぶような影が僕の名を呼ぶように近づいてきた。
「……ここにいた、ヴォルフ」
「……なんですか? ネフィリアさん」
 僕に駆け寄ってきたのは、漆黒のゴスロリに身を包む自分と同じくらいの背丈をした暗然な雰囲気の少女。肩からはみ出るほど伸びた純白な毛髪に、月光を浴びて健康的な香りを放つ肌。桜色に染まった頰を少し膨らませながら、豊満な肉体をこちらに向けてきた。
 アレは少し男の子にとっては凶器に近い。僕ははにかみながら視線を逸らした。
「……どうしたの、そんなバツの悪そうな顔」
「なっ、なんでもありません!」
「……もしかしてレヴナントに怒られたことまだ気にしてる? お姉ちゃん、分かるよ。ヴォルフの顔で」
「あ、貴方は僕の姉でもなんでもないでしょう!」
 図星を突かれたのはあるが、そんなネフィリアの仕草に僕は思わず動揺する。彼女の姉面も勘弁してほしいものである。小高い丘の木陰にて、吹き抜ける風が彼女の髪を揺らす。
 こめかみで髪を抑えては、微笑を浮かべるが彼女の口調には憂いが混じっていた。
「レヴナントも、ヴォルフの為を思って言ってる。……彼もそれなりに不器用なのだから、許してあげて、ね?」
 いや、それは分かっている。それが彼なりのやり方だろうし、良心の上での叱咤であることは。
 しかし僕もまだまだ未熟な身。
 肉体的にも精神的にも負荷がかかれば、それなりに限界にも達するものだ。
「我が師は……」
 少し僕は顔をうつむかせた。
 ……ここで逃げていては、ラグナロク様に傅くことを許されない。しかし僕の容量と限度を超えた鍛錬であることは自明の理だ。
 僕は蓄積された醜いものを吐き出すように、拳を握り締めて語調を強めて言った。
「確かに僕は強さを求めることに焦燥を抱いています。今も、きっとそうなんです。でも僕じゃ、きっと無理なんだ。あれくらいの鍛錬で根を上げてしまう、僕じゃ……。ずっと貴方たちの隣には立てない……」
 堰き止められていた想いが、体の芯からこみ上げるように涙となって浮き上がる。
 ……これじゃあまるで、僕が大嫌いな人間みたいじゃないか。感情的になって、苦悩して、人にぶつけて。そして自己嫌悪をする悪循環。
 眉を顰めながら余韻に浸っていると、突然ネフィリアに頰をグイッと掴まれる。
「???」
 彼女は整えられた眉を寄せて、不快げに僕の頰を餅のように伸ばしたり引っ張ったりする。
「……」
 僕は彼女の思惑を計る間も無く、縦横無尽に表情筋を遊ばれた。驚きながらもされるがままにされていると、ネフィリアは僕の両頬をグイーッと左右に伸ばす。
「……よし」
 満足気に彼女は「うんうん」と首肯する。
「こ、これは?」
 ネフィリアの意図が理解できず、当惑する僕と吸い込まれそうな程に美麗な灰色の瞳とが視線を交差させる。
「……ヴォルフは拗ねてばっかり。だから、表情筋を温めておいた」
 グッと無表情でサムズアップをするネフィリア。
「は、はぁ」
 僕はなんとも肩透かしを食らったような表情になっていると、ネフィリアはその表情を崩して「……だから」と今度は心配するような面持ちで続けた。
「無理しなくて、いい。ヴォルフ、貴方にはお姉ちゃんがついている。……そうやって抱えこんだ時はさっきみたいに吐き出せばいい。お姉ちゃんはそう思う」
 存外、真面目な声色に僕は言葉に詰まる。沈黙の間、夜風が草を波打たせては騒つかせていた。
「あり、がとうございます」
 僕はどんな返答が最適解なのかも分からずに、お礼を言ってしまった。
「……戻ろう。レヴナントの説得なら任せて、私それだけなら得意。お姉ちゃんを頼って」
「だから貴方は僕の姉では……」
 するとネフィリアはビシッと白い人差し指を僕の唇に向ける。そして悪戯っぽく微笑を浮かべ、どこか自信ありげにいった。
「……お姉ちゃんってところ、もういっぱい見せてると思う。だから、お姉ちゃんって認めて」
「うっ」
 僕はその勢いに臆病風にでも吹かれたかのような態度で狼狽えながらも、餌を待っている犬のような瞳のネフィリアにため息を吐く。
「分かりました……お、お姉ちゃん」
「うん」
 なかなか見せない屈託のない華やかな笑み。
 彼女は満足気に頷くと、僕はその華奢な手に握られながら拠点の方角へと戻っていった。
────────
「っていうことがありましてね」
 私は少しはにかんだ様子で目の前の美人にそう告げる。カチャン、とカップを優雅に置き皿に置く美人……緑剣の担い手ヴェルデは頰に手を添えながらこちらに微笑みを返した。
「あら、ステキなお話。そういうのも、私は嫌いではないですよ」
「あはは。お恥ずかしいお話ですけどね。まぁ、過去というものは戻せませんが、振り返れば尊きものです」
「そうですね」
 ヴェルデもその華奢な首で頷く。一挙手一投足が流れるように美的で常に姿勢もいい。
 私も落ち着いたのか、ゆったりとした時間の流れに身をまかせる。
 薔薇のみが取り巻く不思議な庭園。殊更に他の花たちを侵食したかのように、真紅色の薔薇のみがこの広大な敷地を占めていた。危険な色彩をしているというのに、和やかな香りや思わず引き込まれるような束ねられた花弁の重々しさには心底圧倒させられる。
 そんな不思議な空間の中でも、私たちは他愛もない歓談に花を咲かせていた。
「ヴォルフ……またお姉ちゃんを差し置いて…」
 机の死角からヌッと突然現れるネフィリア。
 そんな低いトーンの声に私は動揺で少し噎せてしまう。
「なっ、ちょっとネフィリアさん!」
「……お姉ちゃんを混ぜないの、ズルい。もう拗ねた」
「そ、そういうわけではなく……」
「ふふふ、本当に変わらず仲がいいのですね。お二人共」
 私は頰を赤らめて拗ねるネフィリアの対応に追われた。時折見せる意地悪な笑みも、姉としての威厳も。
 本当に幾つの数を越しても変わらない。
 そんな姿にわたしは少し頰を綻ばせ、胸をソッと撫で下ろした。
 私が白剣の担い手となったおかげで、やっと彼女の隣に立てた気がする。
 そんな漠然とした感覚に翻弄されながら。