災禍の翼編 序章
「灰桜。急に呼び出してすまないな」
「……鏑木支部長、ほんと驚かせないで下さい」
鏑木と呼ばれた恰幅の良い男は、頬杖をつきながら申し訳なさそうに笑う。
灰桜という青年は眉間をつまみながら力無く天を仰ぐ。ため息混じりに肩を脱力させると、再びハキハキとした声色を取り戻した。
「それで、僕を呼び出したのは?」
「あぁ……君に単独で動いて欲しい件があってだね」
「僕にですか?」
「うむ。テンペスタの騒動での活躍ぶりはベルベット支部長からも聞いている。そんな君の腕を買っての判断だ。なに、報酬は弾むよ」
灰桜は唇に指を当てながら思索する。
「……それは、淑乃にも被害がいくほどの?」
「いや。……悪い話こいつの侵攻を許せばT市どころか、東京を巻き込んでの大規模な災害になりかねないだろう」
鏑木の語調が憂いに沈む。灰桜も彼の表情からそれが喫緊の課題であることを認識させられた。
灰桜の想定以上の規模を誇るそれは、あまりにも重責を感じ得ないもので拳を作れば手汗が滲み出ているのが分かる。
しかしながら鏑木の言い方にも些か引っかかる要素があった。
「と、いうことはこのT市ではないのですか?」
「そうだな。だからこそ今まで我々UGNが認知できなかったと言ってもいい。この街ならば管理下故に対処はしやすいが……やはりそれを超えると我々も手が出しにくい領域になってくる」
「ちなみに今回の僕の任務の対象はFH?」
「それがな……FHであることは確かなのだが我々はあまりにも危険な存在を放置しすぎていたのかもしれん」
鏑木はバツが悪そうに視線を逸らす。
頬杖を解いて卓上で手を組むと、ほとほと窮したように力無く項垂れた。
「今までその地域での異常は確認されていた。折に触れて何度かエージェントを視察に入らせたのだが確固たる証拠は見つからなかったんだ。だからこそ、今回の敵の力を膨らませるには充分な時間を稼がせてしまった」
「こうやって事実が浮き彫りになったのはその力とやらを充分に蓄えられたから……?」
「いや、発見が遅れたのは我々の落ち度もある。しかし最近になって出現したのも事実だ」
「それで、今回の僕の敵は?」
「……灰桜、君がこれを現と見るか、夢と見るかは分からない。敵も判然としない中で我々の独断で君に言うのも気が向かないが……」
鏑木も一度は逡巡するが、軽く首を横に振ると眦を決する。
鋭い瞳に灰桜も喉を静かに鳴らすと、彼の口から出たのは有り得ない言葉だった。
「君の今回の敵は……天使だ」