芝刈り機

あいーん

変態のお話

 

 公立山垣高校二年生。

 そんな僕こと、榊原幸人は今日もお昼休みに雑巾掛けへと精を出していた。周囲の瞳がやけに奇異な色に変わるのは確かにそうだ、と言わざるを得ない。

 今は清掃の時間でもなければ、何かしらの罰則としてやっているわけじゃない。

 ある、重大な個人的な理由でやっているからなんだ。

 


「うおおお!!」

 おおよそ人の動きとは思えない快走ぶりで廊下を往復する。

 自衛の手段が少ないからとは言え、この高校は男の子の夢に対して手厳しい印象だ。

 まぁそんな融通の利く学校があるとしても、苦労がなくて些か違和感は覚えそうだけど。

 ピカピカに磨かれた廊下、爽やかに汗を拭い満足げに僕は頷いた。

 


 だが、まだ終わっていない。

 勝負の分かれ目はここからだ。

 


 僕は憩いの時間も労うこともせず、チラリと下心のある視線を磨いた廊下に向ける。

 そしてその手前には歩いてくる女子が現れた。

 我、勝機得たり。

 血眼になりながらも欲得に火照った心身をなんとか落ち着かせる。深呼吸、深呼吸……。

 再び凝視を開始。

 卑猥な光を放つ僕の瞳は、既に録音ボタンを押してしまっている。

 もう少しで、もう少しで、反射したパンツがッ!!

「おい」

「ぎゃああぁあぁぁぁぁあぁぁあぁぁ!!!」

 あらゆる臓器が驚愕に飛び跳ね、思わず肌がゾワリと粟立つ。

 背後だというのに明らかに殺意としか思えぬ目線を向けられているのが分かった。

 重々しい声色ながら凛々しい耳心地。

 背筋に冷や汗を走らせ、その悪寒が現実味を帯びぬことを切に願いながら振り返る。

「随分と、慌てているようだなぁ? 何か企み事でもしていたのかな?」

「ヒィイイイイイイイイイ!!! し、ししししししししてません!!」

 ま、間違いない。この冷厳ある立ち振る舞いは。

 氷の生徒会長、西原 祐香里ッ……。

 違背を嫌い、遵守こそ至高だと標榜する僕の一つ上の先輩。学校の規則を破ったり、無視するものには彼女から徹底的な制裁が加えられる。

 今まで騒然としていた生徒たちが、西原先輩に一つ睨まれただけで沈黙の色に染まるほど絶大な影響力。

 もはや恐怖で民草を支配する暴君だ。

 その反面、信頼や信用や支持はかなり厚い。

 僕らでは分からない目に見えぬ魅力を秘めているのだろうが、僕が西原先輩の好きな部分はおっぱいが大きいことくらいしかない。いやでも、表面だけ見れば美人だが。

「なら良し。中等部二年榊原幸人、貴様に用がある」

 だ、ダメだ! 反抗精神を奮い立たせなければ、絶対に後悔する!! 僕は必死の形相で、思いつく限りの言い訳を並べ始めた。

「ち、違いますッ! これは不可抗力というかそう! なにかの陰謀です! 嵌められた、陥れられた、そ、そう! 僕は傀儡にされた被害者なんだっ!!! 裁かれるのにはな、納得いきません! 僕だって守りたいプライドが!!!」

「なんだ? 妙に落ち着きがないな。まぁ、落ち着いてからでいい。放課後、一階の教室へ来い。じーっくりと貴様の行いについて話がある」

「し、しかし!!」

「ほう……断る、と?」

 わー、威圧感だけで殺されそう。

 そして、そんな中で看破されている以上僕も断れるはずもなく……。

「はい……」

 さめざめと声を震わせながら返事をする。

 僕の青春終わったな、僕自身と周りから向けられる哀れみの瞳がそれを確信させる。

 色んな意味での春も終わり、それを象徴するかのように昼休み終わりの予鈴も鳴った。

 


 ────────

 

 

 

 放課後。

 部活動の活力に満ち溢れた声を背に、トボトボと指定された教室へと向かっていた。

 窓から差し込む綺麗な夕陽でさえ、無情に僕のメンタルを焦がしていく気がする。

「あぁ……もうどう考えたって僕の行為がバレたとしか言いようがないよなぁ。あの鋭い会長のことだし」

 力無くため息を吐いていると、既に教室が目の前に迫ってきていた。

「覚悟を決めろ、例えバレても俺は自分自身の想いには誇りがあるんだ。女の子の下着だって見たって減るもんじゃないんだから!」

 力強く拳を握るが、なんだか中年のおじさんみたいな言い草だ。

 そんな自身への落胆と憂鬱をこめながら、教室の前に立った。乱れる動悸を呼吸で整えて、なるべく平静に立ち振る舞うことを意識する。

「た、たのもー……」

 おもむろに僕は教室の扉を開く。

「きたか。この私を待たせるとはなかなかの度胸だが、よくきたものだ。普通のやつなら逃げ出していて当然だが、お前は肝が座っているな」

「は、はぁ」

 賞賛されるなんて思っておらず、茫然と視線をただ交差させる。逃げ出すことも確かに考えたが、どうせ明日にも学校に来るのだから同じ結末だろう。

 歩もうとした足も、凍りついたように止まる。

「どうした。入ってこい」

「は、はい」

 朗々と喋る会長に比べて僕は一層歯切れが悪い。

 けれど、いつまでもグズグズしていては不興を買うだけだ、なら……。

「か、会長」

「なんだ?」

 毅然とした足取りで凄まじいオーラを掻い潜りながら会長のいる教卓の前へと向かう。

 そして威風堂々とする会長を目の前に立つと。

「も、申し訳ありませんでしたッ!!」

 全力謝罪。

 頭を下げて上靴の爪先を見やる。

 言いたいことは分かってるんだ。なら、こっちから仕掛けてちゃんと負い目を自覚していることをアピールした方がいい。

「自らがやった悪徳、いえ女性の尊厳を踏みにじる冒涜行為をしたこと!! 充分に自覚してます! だからこそ会長のお裁きが必要であり、矯正されることもやむを得ないかと存じます! で、ですが僕にも複雑な理由がありまして、やはり多感な時期故にそういうのには興味が……あ、あとあの言い訳にもちゃんと理由があって!!」

 熱を帯びた僕の舌は、回る、回る。

 もはや自分の言っていることがわけわからない。

 グツグツと煮えて暴発しそうな頭とのバランスを考えず言うもんだからまとまらない。

 しかしながら会長の表情はピクリとも動かず、教卓に手を当てながら無言で聞いている。逆に怖い。

 汗は止まらず、整えたはずの呼吸は乱れ、ピクピクと頬は引きつっている。

 僕に会長の表情を見る余裕などなく、ただ恐怖に支配されたまま犯した罪への相応しい沙汰を待つだけだ。会長が口を開いた瞬間に僕は目を強く瞑る。

「榊原、落ち着け。貴様が一体何を言っているのかは分からない。そもそも私は貴様を賞賛したいのだからな」

 は、え? え?

 緊張で強張った全身の力が緩やかに抜けていく。瞑った眼も思わず開いてしまい、そこから見えた会長の表情には優しげな笑みがあった。

 空いていた窓から入り込んだ、穏やかな風が僕の汗を撫でるように拭う。

 困惑する僕を置き去りに、会長はどんどん話を進めていく。

「貴様はほかの生徒たちの模範となるべき生徒だ。毎日欠かさず自分の休みを削り雑巾掛けをして学校美化に貢献する姿は非常に素晴らしい」

 取り敢えず危機は脱した、のかな?

 安堵の吐息を押し殺しながら、会長にどきりと鼓動を鳴らしてしまう。彼女もどれだけ厳格であれ美人であることには変わりない。

「は、はいっ。会長に褒められるなんて光栄の至りです!!」

 ドシリと惓んだ感覚を覚えながらも、杞憂に終わり僕はやっと解放され……。

「そこで、だ。貴様を次期美化委員会の委員長に任命したいと思う」

「びっ……」

 い、委員長って。こんな心の穢れている人間がなっていいものなのか!?

 いや、そもそも会長が本気で僕を立候補させようとするなんて……。

「か、会長? 流石に冗談ですよね? こ、こんな平凡な生徒を」

「いや私は本気だぞ? 貴様の英姿はしっかりとこの私が見てきている。なに、私のお墨付きだ、そう心配せずともいい」

 そんな英姿見なくていいからぁぁあぁぁああぁぁ!!! マズイ、本格的にマズイ状況になってきたぞ。物の少ない教室なので、僕の上靴が後退る音がよく聞こえる。

 余裕がない証拠だ。

「どうした、急に顔が青ざめているが? 不服かな?」

「は、い、いえ……そういうことではなく」

 お断りします、なんて言えるはずがない。会長の好意を無下にするのは僕自身も本意ではないからだ。

 けれど……このままだと僕の青春が夢が。声にならない嘆きが教室を吹き抜ける風の中に溶けゆく。

 美化委員長としての尊厳、美化委員会の体裁。そんなもの背負わされても僕は一体どうしろっていうんだ。

「か、会長」

「ん、なんだ?」

「多分ぼくでは、その……美化委員会の皆さんの信頼を得るのは難しいかなぁ……と」

「なに、私が全面的にバックアップする。そう懸念を抱くこともない」

 さらっと答える会長を前に僕はというと口をあんぐり開けていた。

 懸念なんて言えば山ほどある。美化委員会には僕のトラウマもいるのだから。

「で、ですが僕って頭も平均的だし、やることなすこと奇行に見られるし……」

「ふむ。そこはなんとかしてやる」

「ど、どうやって?」

「なに。私にはこれがある」

 綺麗な丸みを帯びた力こぶを右腕に作ると会長は自信ありげに軽く叩いた。

 その脳筋っぷりには流石の僕も動揺と呆れの混ざった表情を作らざるを得ない。

 先に折れたのは僕の方だった。

「わ、分かりました。美化委員長の件、慎んでお受け致します……」

「そうか。そう言ってくれて私も嬉しいぞ」

 この人の笑顔だけを取るなら素敵なんだけどなぁ。

 会長が満足げに首肯するのを見て僕は弱々しくため息を吐く。

 この先の気苦労を考えると酷く憂鬱だし、青春を委員会に捧げることになったのは……まぁ僕の今までの行いの報いだろう。

 男の子って不便なものだ。

 その後、肩をポンポンと会長に叩かれ退室を見送ると僕も帰途に着く。

 

 既に僕の瞳からは光が失われていた。

災禍の翼編 序章

「灰桜。急に呼び出してすまないな」

「……鏑木支部長、ほんと驚かせないで下さい」

 鏑木と呼ばれた恰幅の良い男は、頬杖をつきながら申し訳なさそうに笑う。

 灰桜という青年は眉間をつまみながら力無く天を仰ぐ。ため息混じりに肩を脱力させると、再びハキハキとした声色を取り戻した。

「それで、僕を呼び出したのは?」

「あぁ……君に単独で動いて欲しい件があってだね」

「僕にですか?」

「うむ。テンペスタの騒動での活躍ぶりはベルベット支部長からも聞いている。そんな君の腕を買っての判断だ。なに、報酬は弾むよ」

 灰桜は唇に指を当てながら思索する。

「……それは、淑乃にも被害がいくほどの?」

「いや。……悪い話こいつの侵攻を許せばT市どころか、東京を巻き込んでの大規模な災害になりかねないだろう」

 鏑木の語調が憂いに沈む。灰桜も彼の表情からそれが喫緊の課題であることを認識させられた。

 灰桜の想定以上の規模を誇るそれは、あまりにも重責を感じ得ないもので拳を作れば手汗が滲み出ているのが分かる。

 しかしながら鏑木の言い方にも些か引っかかる要素があった。

「と、いうことはこのT市ではないのですか?」

「そうだな。だからこそ今まで我々UGNが認知できなかったと言ってもいい。この街ならば管理下故に対処はしやすいが……やはりそれを超えると我々も手が出しにくい領域になってくる」

「ちなみに今回の僕の任務の対象はFH?」

「それがな……FHであることは確かなのだが我々はあまりにも危険な存在を放置しすぎていたのかもしれん」

 鏑木はバツが悪そうに視線を逸らす。

 頬杖を解いて卓上で手を組むと、ほとほと窮したように力無く項垂れた。

「今までその地域での異常は確認されていた。折に触れて何度かエージェントを視察に入らせたのだが確固たる証拠は見つからなかったんだ。だからこそ、今回の敵の力を膨らませるには充分な時間を稼がせてしまった」

「こうやって事実が浮き彫りになったのはその力とやらを充分に蓄えられたから……?」

「いや、発見が遅れたのは我々の落ち度もある。しかし最近になって出現したのも事実だ」

「それで、今回の僕の敵は?」

「……灰桜、君がこれを現と見るか、夢と見るかは分からない。敵も判然としない中で我々の独断で君に言うのも気が向かないが……」

 鏑木も一度は逡巡するが、軽く首を横に振ると眦を決する。

 鋭い瞳に灰桜も喉を静かに鳴らすと、彼の口から出たのは有り得ない言葉だった。

「君の今回の敵は……天使だ」

 

グラムとネフィリア


 僕がこの狂の派閥にきて既に一年が経過しようとしていた。
 ラグナロク様にご慈悲を貰って以降、僕は恩を返す為に毎日鍛錬を続けていた。その鍛錬相手は七劔が一人、双剣ティルヴィングの担い手レヴナント。
 それほどに僕のポテンシャルが期待されているという遠回しな信頼だ。それに応える為に、僕は研鑽を積み続けた。
 けれど、やはり道程は甘くない。何度も頓挫しては諦めかけ、叱咤されては諦めかけた。メンタル的にも未成熟な僕は、段々と強くなるという目的を幾度も見失い続けていた。
 そして等々、僕はその鍛錬に耐えきれず投げ出してそこから逃げ出してきてしまった。とある小高い丘の上。巨木に背中を預けながら罪悪感と悲嘆に暮れていると、拠点の方角から忍ぶような影が僕の名を呼ぶように近づいてきた。
「……ここにいた、ヴォルフ」
「……なんですか? ネフィリアさん」
 僕に駆け寄ってきたのは、漆黒のゴスロリに身を包む自分と同じくらいの背丈をした暗然な雰囲気の少女。肩からはみ出るほど伸びた純白な毛髪に、月光を浴びて健康的な香りを放つ肌。桜色に染まった頰を少し膨らませながら、豊満な肉体をこちらに向けてきた。
 アレは少し男の子にとっては凶器に近い。僕ははにかみながら視線を逸らした。
「……どうしたの、そんなバツの悪そうな顔」
「なっ、なんでもありません!」
「……もしかしてレヴナントに怒られたことまだ気にしてる? お姉ちゃん、分かるよ。ヴォルフの顔で」
「あ、貴方は僕の姉でもなんでもないでしょう!」
 図星を突かれたのはあるが、そんなネフィリアの仕草に僕は思わず動揺する。彼女の姉面も勘弁してほしいものである。小高い丘の木陰にて、吹き抜ける風が彼女の髪を揺らす。
 こめかみで髪を抑えては、微笑を浮かべるが彼女の口調には憂いが混じっていた。
「レヴナントも、ヴォルフの為を思って言ってる。……彼もそれなりに不器用なのだから、許してあげて、ね?」
 いや、それは分かっている。それが彼なりのやり方だろうし、良心の上での叱咤であることは。
 しかし僕もまだまだ未熟な身。
 肉体的にも精神的にも負荷がかかれば、それなりに限界にも達するものだ。
「我が師は……」
 少し僕は顔をうつむかせた。
 ……ここで逃げていては、ラグナロク様に傅くことを許されない。しかし僕の容量と限度を超えた鍛錬であることは自明の理だ。
 僕は蓄積された醜いものを吐き出すように、拳を握り締めて語調を強めて言った。
「確かに僕は強さを求めることに焦燥を抱いています。今も、きっとそうなんです。でも僕じゃ、きっと無理なんだ。あれくらいの鍛錬で根を上げてしまう、僕じゃ……。ずっと貴方たちの隣には立てない……」
 堰き止められていた想いが、体の芯からこみ上げるように涙となって浮き上がる。
 ……これじゃあまるで、僕が大嫌いな人間みたいじゃないか。感情的になって、苦悩して、人にぶつけて。そして自己嫌悪をする悪循環。
 眉を顰めながら余韻に浸っていると、突然ネフィリアに頰をグイッと掴まれる。
「???」
 彼女は整えられた眉を寄せて、不快げに僕の頰を餅のように伸ばしたり引っ張ったりする。
「……」
 僕は彼女の思惑を計る間も無く、縦横無尽に表情筋を遊ばれた。驚きながらもされるがままにされていると、ネフィリアは僕の両頬をグイーッと左右に伸ばす。
「……よし」
 満足気に彼女は「うんうん」と首肯する。
「こ、これは?」
 ネフィリアの意図が理解できず、当惑する僕と吸い込まれそうな程に美麗な灰色の瞳とが視線を交差させる。
「……ヴォルフは拗ねてばっかり。だから、表情筋を温めておいた」
 グッと無表情でサムズアップをするネフィリア。
「は、はぁ」
 僕はなんとも肩透かしを食らったような表情になっていると、ネフィリアはその表情を崩して「……だから」と今度は心配するような面持ちで続けた。
「無理しなくて、いい。ヴォルフ、貴方にはお姉ちゃんがついている。……そうやって抱えこんだ時はさっきみたいに吐き出せばいい。お姉ちゃんはそう思う」
 存外、真面目な声色に僕は言葉に詰まる。沈黙の間、夜風が草を波打たせては騒つかせていた。
「あり、がとうございます」
 僕はどんな返答が最適解なのかも分からずに、お礼を言ってしまった。
「……戻ろう。レヴナントの説得なら任せて、私それだけなら得意。お姉ちゃんを頼って」
「だから貴方は僕の姉では……」
 するとネフィリアはビシッと白い人差し指を僕の唇に向ける。そして悪戯っぽく微笑を浮かべ、どこか自信ありげにいった。
「……お姉ちゃんってところ、もういっぱい見せてると思う。だから、お姉ちゃんって認めて」
「うっ」
 僕はその勢いに臆病風にでも吹かれたかのような態度で狼狽えながらも、餌を待っている犬のような瞳のネフィリアにため息を吐く。
「分かりました……お、お姉ちゃん」
「うん」
 なかなか見せない屈託のない華やかな笑み。
 彼女は満足気に頷くと、僕はその華奢な手に握られながら拠点の方角へと戻っていった。
────────
「っていうことがありましてね」
 私は少しはにかんだ様子で目の前の美人にそう告げる。カチャン、とカップを優雅に置き皿に置く美人……緑剣の担い手ヴェルデは頰に手を添えながらこちらに微笑みを返した。
「あら、ステキなお話。そういうのも、私は嫌いではないですよ」
「あはは。お恥ずかしいお話ですけどね。まぁ、過去というものは戻せませんが、振り返れば尊きものです」
「そうですね」
 ヴェルデもその華奢な首で頷く。一挙手一投足が流れるように美的で常に姿勢もいい。
 私も落ち着いたのか、ゆったりとした時間の流れに身をまかせる。
 薔薇のみが取り巻く不思議な庭園。殊更に他の花たちを侵食したかのように、真紅色の薔薇のみがこの広大な敷地を占めていた。危険な色彩をしているというのに、和やかな香りや思わず引き込まれるような束ねられた花弁の重々しさには心底圧倒させられる。
 そんな不思議な空間の中でも、私たちは他愛もない歓談に花を咲かせていた。
「ヴォルフ……またお姉ちゃんを差し置いて…」
 机の死角からヌッと突然現れるネフィリア。
 そんな低いトーンの声に私は動揺で少し噎せてしまう。
「なっ、ちょっとネフィリアさん!」
「……お姉ちゃんを混ぜないの、ズルい。もう拗ねた」
「そ、そういうわけではなく……」
「ふふふ、本当に変わらず仲がいいのですね。お二人共」
 私は頰を赤らめて拗ねるネフィリアの対応に追われた。時折見せる意地悪な笑みも、姉としての威厳も。
 本当に幾つの数を越しても変わらない。
 そんな姿にわたしは少し頰を綻ばせ、胸をソッと撫で下ろした。
 私が白剣の担い手となったおかげで、やっと彼女の隣に立てた気がする。
 そんな漠然とした感覚に翻弄されながら。